道教の女神 信仰あつく…媽祖(960∼987)台湾・馬祖列島--日本讀賣新聞

  • 2013-01-18
編按:馬祖新聞效應已擴散,從去年7月7日前後推動博弈公投,除博弈相關新聞是國內外新聞焦點外,一般性地方活動也已在台灣新聞版面出現,亦受到國際媒體注意。
過去偶見馬祖景點及歷史介紹,最近半年曝光量變大;不論未來博弈演變如何,讓世界看的到馬祖,是博弈公投通過第一個受益。
(2013年1月18日 読売新聞)
中華圏を中心に信仰を集める道教の女神・媽祖まそは、海上安全を始め様々な御利益をもたらすとあがめられる「万能神」だ。10世紀に実在した巫女みこ、林黙娘が海で遭難死した後、神格化されたと考えられている。台湾海峡・馬祖列島(台湾・連江県)には、林の遺体が納められたとされる石棺が残る。
対岸の福建省が間近に見える馬祖列島は、1949年の中台分裂後、70年代まで、蒋介石・国民党政権の「大陸反攻」の大号令のもと、天然の要塞として整備された。いまも台湾軍の重要な軍事拠点で、一般の居住者約6000人ほか、兵士約5000人が駐留する。
石棺は、馬祖列島の主島、南竿島にある媽祖廟びょう「馬祖天后宮」にある。同列島は媽祖信仰の「聖地」とも言え、同宮を含め列島内に9か所ある媽祖廟は県政府によって手厚く維持・補修されている。同宮近くの山には、高さ約30メートルと世界最高の媽祖の石像がそびえる。
林黙娘の遺体を納めたとされる馬祖天后宮の石棺。保護のため置かれたガラスの下にふたの部分が見える
「馬祖列島の守護神ですから、島民はみんな信仰している。毎日、拝みますよ」と言うのは、50歳代のタクシー運転手。同宮にまつわる霊妙な出来事の数々が、島民の信仰心をあつくしているようだ。
同列島の民俗史に詳しい連江県立中山国民中学の王花俤校長によると、清朝(1644∼1912)の時代、船で漁をしていた漁民が突然の暴風雨で遭難しかけていたところ、石棺から出現した火の玉に導かれて無事帰還した話が残るほか、近年も不可思議な現象が伝えられる。
1963年には、火災で焼けた同宮の再建の際、石棺を含め床全体をタイルで覆ったところ、翌日、石棺上部のタイルだけが砕けていた。2001年に同宮改装のため石棺を掘りだそうとしたところ、工事用ドリルが折れたり、ふたをきれいに塗装しようとしたところ着色しなかった――。いずれも、驚いた島民が占術で媽祖にたずねると、「触れてはならぬ」とのお告げがあったという。
出自や人生謎残る
南竿島の鉄板天后宮にある媽祖像。少女時代の林黙娘の容貌を伝える
林黙娘の出自や人生、死因には謎が多い。同列島では、漁民の娘だったと語る人が多いが、中国、台湾本島では官吏の娘だとする説も有力だ。また、●洲島沖で遭難したとされる林の遺体が、直線距離で約百数十キロ・メートルも離れた同列島に漂着するものなのか。誰が身元確認をしたのか。中国には、林は遭難死ではなく、山へ登り、そのまま昇天して神となったという説もある。
台湾の媽祖文化研究の第一人者、蔡泰山教授(桃園創新技術学院副校長)にたずねると、「亡くなったときの様子や生い立ちを示す決定的な史料がない」のだという。多くの台湾人同様、媽祖を信仰するという蔡教授は「林黙娘が実在の人物であるのは確かだが、解明できない部分は多い。大切なのは伝説の追究よりも媽祖への信仰心ですよ」と笑うばかりだ。(文と写真 源一秀)
(●はさんずいに眉)
林黙娘
16歳の頃から、人々の病を癒やすなど神通力をあらわした。媽祖廟は中華圏を中心に世界に約5000あり、信仰者は約2億人。台湾には約2000の廟があり、住民の6∼8割が信仰しているとされる。本島には17世紀、明代の軍人・政治家の鄭成功が初めて中国より像を持ち込んだとも言われる。「馬祖」の地名は発音が類似する「媽祖」から転じた。
林黙娘の遺体を納めたとされる馬祖天后宮の石棺。保護のため置かれたガラスの下にふたの部分が見える
南竿島の鉄板天后宮にある媽祖像。少女時代の林黙娘の容貌を伝える